ウズベキスタンの旅③ ヒヴァの栄華・ブハラの祈り







2025年10月、中央アジアの国、ウズベキスタンの旅の記録です。
ヌルラボイ宮殿、ヒヴァの栄華
この日は、ウズベキスタン西部の都市、ヒヴァ滞在の最終日。
ブハラへの移動日でしたが、出発前にひとつだけ行きたい場所がありました。
それが、ヌルラボイ宮殿。
ヒヴァの城壁の外にあるこの宮殿は、20世紀初頭、ヒヴァ最後のハン(王)が居住した場所です。
伝統的なイスラム建築とヨーロッパの様式が混ざり合う、不思議な魅力を持っています。

高さのある壁に囲まれた敷地には美しい中庭があり、応接間や会議室、生活空間がそのまま残されています。
中庭では、女性達の手で花を植える作業が進められていました。


内部には磁器の暖炉やクリスタルのシャンデリアが輝き、金箔で飾られた天井や寄木の床、華やかな壁の装飾。
職人たちの繊細な手仕事と、西洋への憧れが同居していました。
静かな朝の光の中で、黄金色に輝く天井を見上げながら、ヒヴァの栄華に思いを馳せました。

ヒヴァからブハラへ
昼前、宿に戻って荷物をまとめ、車でウルゲンチ空港へ。ブハラまでは飛行機で1時間弱。
鉄道だと半日以上かかる距離なので、ツアーの日本人の方々も多く、小さな空港ながらもにぎやかでした。

飛行機で偶然同列となった一人旅の日本人女性と旅の雑談をしました。
ブハラ空港から宿までタクシーを相乗りしようかという話にもなったのですが、宿の方向が違っていたため、結局それぞれYandex go(配車アプリ)で車を呼ぶことに。
空港の外では、「Yandexはやめて、自分の車に乗りなさい!」としつこく勧誘してくるタクシーのおじさんたちとの小さな攻防(笑)
二人で「ノーサンキュー」と断りながら、空港右手の駐車場の外で車を待ちました。
数分でお互いの車が無事に到着。
ブハラの夜
ブハラは、ブハラハン国として栄え、実に2500年以上前から長い歴史を持つ古都。
ユネスコの世界文化遺産にも指定されている歴史ある都市です。
ブハラの宿は旧市街の細い路地を抜けた先にある、小さな三階建てのミニホテル。
部屋は思ったより広く、なんとバスタブ付き。
ヒヴァでは狭いシャワーだけだったので、思わず「やった」と声が出ました。
水の貴重な国でお風呂に入れるありがたさを噛み締めました。
少し休んでから、近くを散歩。
数分歩くと、ライトアップされたヒヴァの象徴、カラーン・ミナレットが見えてきます。
夜空にすっと立つその姿は、言葉を失うほど美しい。

夕方から一気に冷え込むブハラの夜。
宿に戻ってお湯をため、久しぶりに湯船に身を沈めます。
洗面所も広かったので、ついでに洗濯も。
乾燥しているこの気候に期待して、「チェックアウトまでに乾くといいな」と思いながら眠りにつきました。

ヌルラボイ宮殿の静けさと、ブハラの夜の灯。
時代の終わりと新しい街の始まりを感じた一日でした。
ブハラの祈りと微笑み










ブハラの歴史
古都ブハラは、紀元前5世紀頃まで遡り、古代からシルクロードの重要な交易拠点として栄えた中央アジア最古の都市の一つです。
8世紀にはアラブ人によってイスラム教がもたらされ、以後は学問と文化の都として発展。
9〜10世紀にはサーマーン朝の首都となり、黄金時代を迎えました。
その後、チンギス・ハーンによる破壊を経て、ティムール朝やブハラ・ハン国のもとで再び繁栄。
現在もモスクやマドラサの並ぶ街並みに、世界中の観光客が魅了される世界文化遺産都市です。
ブハラ街歩き
この日は、そんなブハラの街を一日かけて歩きました。
カラーンモスクに始まり、アルク城、ボロハウズモスク、イスマイール・サーマーニ廟、チャシマ・アイユブ廟、そして地元の人々が集うデフコンバザールへ。
そのあと、ラビハウズの池のまわりを散策し、ナディール・デイヴァンベギ・メドレセ、チョル・ミナル、マゴキ・アッタリ・モスクも歩きました。
古い建物の壁や柱を眺めていると、遠い時代の祈りがいまもそこに残っているような気がします。




少女との出会い
ブハラでいろいろな場所を訪れましたが、いちばん心に残ったのは建物ではなく、道案内をしてくれた少女との出会いでした。
イスマイール・サーマーニ廟へ向かう途中、「Do you speak English?」と声をかけてくれた中学生くらいの女の子。
彼女はタジク系で、「ロシア語は話せるけど英語の単語が出てこない」と少し焦ったそうに、一生懸命話しかけてくれました。
途中で、英語で “father, mother, brother” などを言いながら、ウズベク語でどう言うかを教えてくれて。
最後に、小さな数珠のようなブレスレットを「あなたにあげる」と渡してくれたのです。
そのあと、彼女は「bye! bye!」と笑顔で走って帰っていきました。
きっと急いでいたのに、それでも声をかけてくれた気持ちが嬉しくて、しばらく手を降り、その場に立ち尽くしてしまいました。


イスマイール・サーマーニ廟
迷い込んだバザール
そしてもうひとつ印象的だったのは、デフコンバザール。
観光客の姿はほとんどなく、洋服や日用品、食材がずらりと並ぶ地元の人向けの市場です。
お店の人とお客様さんとのやりとりや、お母さんが赤ちゃんのお世話をする姿に、ブハラの日常が感じられてワクワクしました。


水が貴重な国
ウズベキスタンは、海に出るまでに二つ国境を跨がなくてはならない二重内陸国。
乾燥地帯でもあり、水資源が貴重な国です。
12世紀に泉が湧き出たとされる旧約聖書ヨブにちなんだ、チャシュマ・アイユブ内では、アラル海の悲劇にちなんだ展示もされていました。
アラル海の悲劇とは、かつて中央アジアにあった大きな内陸湖「アラル海」が、1960年代以降ソビエト連邦の大規模な灌漑計画により急激に縮小・消失していった環境破壊のことです。
他ではロシア語、英語の併記があるのですが、この記述は、ウズベク語表記しかなかったのは、政治的配慮なのでしょうか。


観光客に人気のラビハウズ。
ハウズとは池の意味だそう。
乾燥した国で、水と木陰に安らぎを見出した歴史に思いを巡らします。

ウズベキスタンでは、子どもを本当によく見かけ、街のあちこちから笑い声が聞こえてきます。
「ハロー!」と話しかけてきたり、ちょっぴりいたずらっぽく「あっかんべー」してきたり。
旅の途中で出会う子どもたちが、この国の明るい未来をそのまま映しているように感じました。
聖地とチャラ男と優しさと








この日は、ブハラからサマルカンドに鉄道で移動しました。
ブハラ郊外の聖地へ
ブハラ最終日。
チェックアウトまで少し時間があったので、午前中、ブハラ郊外のバハウッディン・ナクシュバンド廟へ行くことにしました。
配車アプリYandexで車を呼び、ドライバーさんの運転で約25分くらい。
市街地を抜けると、空が広く、空気が澄んでいくのが分かります。
バハウッディン・ナクシュバンドは14世紀のイスラム神秘主義スーフィー教団「ナクシュバンディ教団」の創始者。
彼の霊廟は中央アジアでもっとも重要な巡礼地のひとつで、2023年には世界遺産の構成要素として登録されました。

墓石のそばでは信者の方々が輪になって祈りを捧げ、女性たちは楽しげに巡礼をしていました。
奥へ進むと小さな博物館もあり、信仰とともに生きたこの地の歴史を感じます。
入場料は15,000スム。
現金のみで、小銭がなくて少し焦りながら支払い完了。
帰りもYandexで市内に戻りました。


迷子になったバザール
午後の鉄道の出発まで少し時間があったので、先日訪れたデフコンバザールへ。
しかし、あてもなく歩いているうちに見事に迷子に。
鉄道の時間が迫り、奥へ入るのは諦め、見覚えのある門から脱出しました。

チャラ男ドライバーとの攻防
13時過ぎ、再びYandexで駅へ。
ところが、今度のドライバーは少々困った人。
握手と見せかけて手をつないできたり、膝に触れようとしたり、「チューして」みたいなジェスチャーをしてきたり。
冗談のつもりかもしれないけれど、女性ひとり旅ではやはり怖い。
「No, no」と伝えてかわす。
私が「何やってるんだかな」と思わず半笑いになってしまったからか、舐められたのかもしれません。
毅然としないと、軽く扱われることもある。
チャラ男ドライバーから学んだ教訓です。
特急アフラシャブ号でサマルカンドへ
ウズベキスタンが誇る高速鉄道「アフラシャブ号」。
ブハラからサマルカンドまでは2時間弱。
事前に日本からアプリで予約し、一等車にしてみましたが、特にサービスはなし。
とはいえ、清潔で快適。車内では通話も自由で、日本の車内マナーとの違いが新鮮でした。
車窓の外は延々と続くステップ気候の乾いた大地。
ときおり見える綿花畑や牧畜風景が旅情を添えます。


そしてサマルカンドへ
サマルカンド駅に到着。
再びYandexを呼ぶも、ドライバーさんと合流できず10分ほど探し回りました。
実際は、駅からでてすぐの車がたくさん止まっているエリアで待てば良かったのですが、私が地図を見誤り、歩き出してしまい離れてしまいました。
そのためタクシー料金に待ち時間分が若干加算されていました。
目的地のゲストハウスが地図登録されておらず手間取りながらも、結局近くの宿を代わりに指定して出発。

夕方の渋滞を抜け、約1時間後に到着。
家庭的な宿では、ウェルカムケーキとお茶、スイカに加え、家族の夕食までおすそ分けしてくれました。
昼食を逃していた私は、ありがたく完食。
最後に宿の方の優しさに触れて、この日は早めに休みました。


